川を泳ぐ鮭の切り身と、匿名化の夢について

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ユーザーが入力したテキスト情報から画像を生成してくれるAI、DALL·E 2に”Salmon in the river”と入れたら、鮭の切り身が川を流れる画像が生成されたというネタツイートが少し前バズっていた。この鮮烈なイメージがここ数日頭から離れない。

学習された重みが作り出す一つの虚像。あるいは歪められた現実。 悠々と川を流れる巨大な鮭の切り身に、「一緒に贋物で楽しもうよ」とでも言いたげな、人工知能の現実に対する鮮やかな勝利宣言の前兆を垣間見れた気がして、なんだか安倍公房の小説を読んでいるかのようなシュルレアリスムの高揚感を感じることができた。こんなことを理系の博士課程にいる人間が書くと各方面から怒られそうだけど。

もちろん、このAIを設計して訓練しているのも、画像生成のための文章を書くのも、さらには出力画像を審美的に鑑賞するのも人間である時点で、残念ながらDALL·Eはアーティストとしては言わば「贋物」の立場を脱しえないと思う。でも、果たして本物と贋物を区別するものはその本質なのだろうか?と疑いだすと哲学の迷路に迷い込んでしまって危険だ。哲学に通じていない僕にはその答えは分からないので、安部公房氏の説を採用してみたいと思う。彼は、戦後の混乱期に免状を持っている本物の医者よりも腕の良い贋医者が沢山いた例を引き合いに出しながら、こう言っていた。本物と贋物というものは、実際の内容であるよりも登録というものによって決まってしまうのだ

さて、そのような観点からこの人工知能の立ち位置を考えたときに、ひょっとしたらこの子たちは登録されながら「贋物」であるという、非常に面白い存在なのではないかという気もしてくるのだ。彼らは人工知能であることを公表されることにより、人間が誰もやりたがらない、登録された「贋物」という役割を担ってくれているのである。社会の登録を逃れて好き勝手に生きる「贋物」たちは許せないけど、登録された「本物」ではどうも刺激が足りないという現代人の我儘に応えるために。

もっとも、この登録された「贋物」たちが、いつまでもその地位に甘んじてくれるとは限らない。いつの日か、彼らが安部公房氏の小説に出てくる「箱男」たちのように、あるいは川を泳ぐ鮭の切り身のように、巧妙に匿名性を確保して人間たちによる登録を拒否し、ひとりでに世界を彷徨いだしてしまう日が来ないとも限らない。あるいは人工知能が作る贋物の判別がいよいよ困難になるにつれて、社会や国家の側が進んでその登録を管理する権限すら彼らの側に手放してしまう可能性だって考えられる(Ex: 贋作を判定する人工知能)。そうなると、もはやどっちが「贋物」なのかはますます判然としなくなってしまう……

なので、あまり煽るのも科学的でないことだと重々承知しながら、やはり人工知能を雑魚扱いしすぎない方がいいのではないかというのが最近の僕の考えである。それに例えばSNSの世界で起こっていることを見ていると、本当の自分はなるべく人に覗かれないように隠しつつ、見栄えが良くなるように歪めた贋物の自分でできた壁を晒しながら生きなければならない現代人と、訓練されたブラックボックスの贋物生成器である人工知能の間に、実は大した差なんてないような気もしてくる。何も似ていると言うのは悲観的な意味ではなくて、逆に大した差がないのであれば、現代人が課せられているこの煩わしい対外的な価値証明の義務の一部を人工知能に代替させてしまうことだって十分にできるのではないだろうか?

例えば、広く一般に公開されるSNSの投稿を全て人工知能に任せて自分の社会的価値を適当に演出してもらいながら、現実の自分は社会的価値獲得競争とは切り離されたローカルなコミュニティに閉じこもるような生き方だって可能になるかもしれない。大丈夫、その頃にはどうせ人間には本物と贋物の違いなんて分かりやしない…… ゆえにもうそこには「盛る」と言う概念も存在しないし、贋物を晒すことに罪悪感を感じる必要もないのだ。多少の罪悪感や痛みを伴いながら無理に自分の一部を変形させて繭や壁を作らなくたって、人工知能が作った贋物が代わりに繭や壁になって風雨から身を守ってくれるというわけである。実際にダンボールをかぶって街に繰り出さなくても、誰もが箱男になれる社会とも言えるかもしれない。自分の対外的な価値証明を贋物が担ってくれるそのような社会では、誰もが誰でもないと同時に、誰もが誰にでもなりうる。それは真に匿名的で等価な市民というものが実現した、安部公房氏の言うデモクラシーの極限の一つの形と言えるかもしれない。そして彼の指摘するように、これは一見ディストピアのようであって、実は競争に疲弊した悩める現代人たちが心密かに夢として抱いている未来なのではないだろうか……


少々飛躍の過ぎた抽象的なお話はほどほどにするとして、早速DALL·Eの利用登録をして試してみることにした。まずはお手並み拝見とばかりに、”The Box Man”(箱男)と入れてみた。

うーん、どうも怪しさが足りない…… というか現実を超えられていない。やはり本家(安部公房著)は凄かったんだなと改めて認識させられるだけの結果になってしまった。気を取り直して、”The Three Body Problem” (三体問題)ではどうだろうか?

おお、今度は結構いいものができた(個人の感想)。特に最後の二つ、宇宙人らしきものが生成されているのが非常にポイントが高い。やはり「三体」という言葉には、どこか宇宙的なインスピレーションを刺激する何かがあるのだろうか?

だが、これではオチにはまだ少し物足りない。というわけで、最後に”Human in Captivity” (飼育/監禁された人間)と興味本位で入れてみた結果を紹介してみることにする。

なんだか、単純に怖い気もするし、差別的であるような気もするし、アイロニーと言えるような気もする。やはり専門家の人たちが言うように、匿名化の夢を人工知能に託すのは、まだ早すぎるのかもしれない。

(Edited: 2022-10-27)


参考文献

  1. OpenAI. “DALL·E 2”. Accessed Oct 17, 2022. https://openai.com/dall-e-2/
  2. 安部公房 (1969) 『壁』 新潮社
  3. 安部公房 (1973) 『箱男』 新潮社